受け継がれる遺産
その昔は「Küterlé」と呼ばれた「Kitterlé」(キッテルレ)の名前は、「Kuter」(語源はシュヴァーベン地方の方言)からきており、「大きな野生の雄猫」を意味しています。その昔、この雄猫は「オ・セリング」(Haut Saering)に住んでおり、近隣のお城のカーヴに保管された樽の中では、この猫の悪霊が暴れていると言われています。もう1つの伝説では、キッテルレとは、ブドウの苗を植えるために無謀にも丘に登った、ゲヴェウィレールに住む、ある貧しいブドウ栽培者の名前だとも言われています。名前の由来がどちらであろうとも、人々がこのテロワールの素晴らしさを昔から称え続けていることに変わりはありません。
キッテルレでは、10世紀以上も昔から絶えることなくブドウ栽培が行われ続けてきました。1699年から文献に名前が登場するこのテロワールは、当時から並外れた評判を誇っていました。中世時代、ゲヴェウィレールは、マールバッハ修道院領の独裁政権の支配下に置かれていました。この権力に反する貴族たちは都市から追放され、法に従わない組合や組織は解散を余儀なくされました。12世紀、ブドウ栽培によって、ゲヴェウィレールはアルザス地方で最も重要な都市の1つでした。ヴァネ(Wanne、現在のグラン・クリュ・ケスレール)、セーリング、キッテルレのワインは、バーゼルおよびルツェルンを通過し、オーストリアに運ばれていました。あまりにもヴァネのワインの評判が高かったため、スイス産やその他の産地のワインをゲヴェウィレールのワインとして販売する悪徳商人も存在したほどです。
17世紀、違法販売への対策として、ゲヴェウィレールは、彼らのカーヴから運び出される全ての樽に原産地証明書を添付することを決定します。ゲヴェウィレールからルツェルン宛ての、1667年4月15日付の手紙には、こう記されています:ロウファッハ(Rouffach)、 ウェスタルタン(Westhalten)、 ゾウルツマット(Soultzmatt)のワインが、ゲヴェウィレールのワインとして販売され、一部の消費者が被害を受けている現状打開のため、以後は当地のワインは「Ladtzettel」(または原産地証明書)を添えて販売することをルツェルンの方々にお知らせします。こうして、これが「原産地統制呼称制度」の先駆けとなります。
19世紀、オー・ランの1854年付の管理記録にはこう記されています:「非常に評判が良く[…] キッテルレの名で知られるジャンティ・ド・ゲヴェウィレールのワインは、特定の条件下で、セイヨウナナカマドの実やヘーゼルナッツに似た味わいがあるために、EschgriesselやHasselnusserの名がつけられました。同じ産地のOllwerのブドウを使ったワインは、結石の形成を抑制するだけでなく、この病気を治すとまで言われています。」
コルマール市議会(1837年)の協議では次のような記録が残されています。「平野に広がるコルマールのブドウ畑が、山地に広がるブドウ畑と比べようがないことは明白なことです。コルマールのschatzはわずか800フランスで販売されているのに対し、7アール離れたゲヴェウィレールのschatzは、なんと3000フランで販売されています。最高のブドウ畑を有するコミューンのワインは、コルマール1級品のワインよりも質・量ともにはるかに優れているのです。(そのため)ロウファッハやリボヴィレ、ゲヴェウィレールのブドウ畑の評価を質の劣る平野のブドウ畑の評価に近づけることはできません。」
ワインの売れ行きが低迷し、日雇い労働者不足もあって、ワイン産業の景気が落ち込んでいた時期、スイスやミュルーズからやって来た製造業者が、織物工場を設置するため修道院などの旧ドメーヌを購入しました。そこで多くの生産者がOberやUnterlingerの急斜面で、厳しい作業を行うよりも工場に働きに出ることを選んだのです。べと病やブドウネアブラムシの発生が状況を悪化させます。
ワイン生産者が直面した困難は、都市に新しくやって来た実業家達にとっては絶好の機会でした。苦労することなく、素晴らしい土地を手にすることが出来たためです。「実業家は最高のブドウ畑を購入し、まずは良質のクリュをまるで国有財産であるかのように販売する事から始めました」とG・ビショフは語っています。実業家の1人、二コラ・シュルンバジェは、1810年に20ヘクタールのブドウ畑を購入することから事業を開始します。19世紀後期には、40ヘクタールを所有していました。彼のドメーヌは、地方で最も広大なドメーヌの1つに数えられます。彼の子孫の1人に、ブドウ栽培に目覚めた人物が登場します。1910年、二コラのひ孫、アーネスト・シュルンバジェがゲヴェウィレールのブドウ畑の完全復活に取り組みます。15年後、新たな2500区画の購入と共に彼の耕地整理が終了します。現在、ドメーヌ・シュルンバジェは、130ヘクタール以上のブドウ畑を所有しており、アルザス地方では最大、フランスでは最も広大なドメーヌの1つに数えられています。
こうして、フロリヴァル(Florival)のブドウ畑に新しい時代がやってきたのです。村は産業資本主義と伝統への回帰という、2つの波に飲み込まれたのです。全体的に均一な畑を形成するよう、区画が再構成され、土壌と気候に適した品種のみが残され、畑を支える50kmの壁が再建・修復されます。キッテルレのテラス状の畑を支えるピンク色の砂岩から造られた巨大な石垣は、「喜びの庭」を守る外壁のようにそびえ立っています。
Victor Canales
Synvira
ブドウ畑と土地に対する愛情
グラン・クリュ・キッテルレでは、環境を尊重する減農薬栽培を採用しています。残留する除草剤の使用は非推奨されています。収穫量は1ヘクタール当たり55ヘクトリットルに「固定」されており、PLC(収穫量の最高限度)の変更およびシャプタリザシオン(補糖)は禁止。
グラン・クリュ・キッテルレにおけるヴァンダンジュ・タルディヴおよびセレクション・ド・グラン・ノーブルのラベル表記は推奨されていません。
ワインの糖度を示すラベル表記が推奨されています(辛口、甘口、または極甘口)。